10/21 (Wed.)

証明終了!
そして、次の問題が見えた。これが正しければ(正しいかどうか全く分からないけど)、超特定の分野では激震が走るかもしれない。

10/19 (Mon.)

先週末、ようやくスペインで開いた銀行口座からお金をおろせた。苦節一か月と半月、感動ものです。

スペインの銀行は安全管理がしっかりしているのか、無駄に管理しすぎてて単に使い勝手が悪くなっているのか、やることが多すぎる。
カードはその場でもらえずに家に送られてくることになっているし、スペインの住所を書いたのにカードの宛先が「日本」(だけ)になっていてうまく届かないし、届いたら届いたで二つあるパスワードを使ってインターネットでログインして アクティベートした挙句、PINコードが送られてくるのを待たなければならない。
何重のセキュリティだよ、と思う一方で、PINコードを印刷した紙は外から丸見え。一番重要な情報が見放題だなんて、何をやっているのやら。

ちなみに上記の手続きのほぼ全ては、店頭で言えばその場でやってもらえる模様。それにも関わらず、店頭の人は一切そのことを言わないで、「インターネットに接続して、あとは分かるから」と説明する。
働いていない時のスペイン人はとてもいい人が多いんだけど、働いている時には(特に役所系には)そういう意味不明に意地悪な人も多い。
もちろん、それはどこの国でも最悪のケースを見れば一緒だと思うけど。


先週末に終わったと思った証明が、実はミスっていることが判明。

その証明は切れ切れにもう四か月くらい取り組んでいるんだけど、先週、無駄に難しく考えすぎていたことに気付き、証明が完了したように思えた。
でも、今日、やっぱりその「簡単な証明」は間違っていることが分かって、難しく考えるようになったのは必然かも?なんても思い始めた。
ただいま、絶賛迷走中。


いやー、本当に僕の頭の悪さには嫌気がさす。

こんな頭では「難問」は解けないかもしれないが、でも、まだ誰も気づいていない草むらの中の玉は見つけられるかもしれない。
ということで、特に海外に出てきてからは、発想力で勝負するようにしている。

日本にいる頃から、「頭のよさだけではなく、目の良さや、社交力や、そういう総合力が、最終的な能力になっている」という風には思っていたけど、 最近はその中でも頭のよさはもっともコストパフォーマンスの悪いものなのではないか?とすら思う。
誰にでも見える分かりやすいピークには数多の人間が集まって来るんだから、その中でトップレベルになるのは、本当に至難の業。
そして、そこでトップレベルになったからと言って、歴史的な難問を解かない限りイノベーションに繋がる訳でもない。

日本でも、もっと「目の良さ」と「社交力」を身に着けられる教育をすればいいのに。大学を卒業するまでそんなことには一切触れない教育をしているから(それを教育と呼んでいいものか)、 そりゃ日本人が世界で活躍しづらいのも納得。

機会があれば、国際的な活躍を叫ぶ政治家や教育家がその辺りをどう考えているのか、聞いてみたいものだ。

10/10 (Sat.)

ポーランドはGdanskで行われたRAQUELの会議から帰ってきた。
とても小さなミーティングだったけれど、同じようなことをしている人にも出会えて有意義であった。

ポーランドは美しい国。人々の笑顔も優しかった。
さぁ、またこれから頑張ろう。最近はNatureに投稿できる論文も目指して研究することにした。それがいいことかは知らないけど、そうじゃないと日本では生き残れない気がしてきたから。

10/5 (Mon.)

今更感があるけれど、今後のために、安保法案について僕が初めから最後までよく分からなかったことを羅列しておく。

僕が個人的に気になった順に書き下していくと、

1.そもそも憲法違反の法案ではないか?
2.実際問題として、「国対国の全面戦争」が起こることは(外交的および国際経済的理由から)到底あり得ない状況で、憲法違反を犯してでも法整備を急ぐ逼迫した理由があるのか?
3.仮に2の答えがYesの場合、その逼迫した状況は「武力による抑制力」以外では解決不能のものなのか(外交力や経済力など)?
4.安保法案によって得られる抑止力と、代わりに招いてしまう危険のバランスが取れているのか?
5.十把一絡げに法案を通す必要があるのか?
6.本当にいざという時に米軍が日本を守るとは思えないのだが(米軍の利益になる場合を除く)、「米軍が日本を守ってくれているのに、日本が米軍に協力しないでどうする」的な議論は仮定から疑うべきではないか。
7.そもそも、「自衛隊と憲法九条の整合性」および「本当に危急なことが起こった時の憲法九条の危険性」を日本人皆が理解して、その上で選択すべき問題なのではないか。


いくつか注釈を。

1に関して言えば僕自身は憲法違反だと思うし、専門家のほぼ全員が違憲よりなんだから違憲とみなすのが普通ではないか。
砂川判決なんていうそもそもいわくつきの判決を持ち出している時点で僕の中では「合憲論」は崩れ去ったのだけど、政府や賛成派の間ではその根拠薄弱の論理が通ってしまうらしい。ありえない。

2に関しては、少なくとも中国と全面戦争になることはあり得ない。
僕の記憶違いでなければ、中国は莫大な日本国債を持っていて国連の理事国でもある。そんな状況で起こりうることは、せいぜい小競り合い程度だと思う。
逆に言えば、日本も中国国債を大量に保有したり、適切な外交的努力を行うことで、中国の脅威は更に局所的なものに限定できるのではないか。
例えば、尖閣付近の中国の油田開発の問題があるが、この一件はそもそも日中政府で油田の共同開発に合意していたということを忘れてはならない。 その合意を尖閣国有化などの強硬態度のせいで台無しにしたのは日本。
このことをなかったことにして、「中国は油田開発を勝手に始めたから脅威だ」と単純に批判するのは、国際的に見れば単なる厚顔無恥だと思う。
日本に政府としての国際的信用力がない理由は、「一事が万事、場当たり主義で、過去を自分たちの矮小な理屈でしか捉えないから」ということに、そろそろ気付くべきだ。

もちろん、南シナ海での埋め立て問題など、明らかに中国が責めを負うべき問題もある。
そういうことが起こった時に「うまく」外交でまとめれるように、日本はもっと昔から(より正確に言えば、日本がアジア経済をリードしていた時から)準備しておくべきだった。 それを、日本が経済を誇った時にしたことは、「岩」を「島」だと言い張って国際社会を驚かせたり、領土問題を(日本が相対的に不利になることが分かり切っていた)未来に丸投げしたりと、 日本のためにならないことばかり。
経済的には「日本の失われた二十年」なんて言われるが、外交的に見れば日本はずっと失われっぱなしだ。それはアメリカとか中国とかいう外部の問題じゃなくて、単に日本政府の愚かさとして。

あと、民主党の前原氏などは「北朝鮮が戦争を始めた場合のみ、集団的自衛権を行使すべき」と言っているが、そもそも日本は戦争を始めないような外交に徹するべきではないか。
それでも戦争を始めたら当面の相手は韓国(+アメリカ)になり、そして一瞬で勝つんだから、日本が喜んで参戦する意味が僕にはわからない。
もちろん、「アメリカに媚びを売るため」と言ってしまえばその通りなのかもしれないけど、正しい意味でいい加減、媚びを売るのはやめていかないといけない。

4はテロなど。起こるか知らないけど、仮に日本でテロを起こそうとしたらとても簡単なことだと思う。

7に関して言えば、これは賛成派・反対派のどちらを見ていても思ったこと。
「(根拠薄弱なまま)必要だから賛成」と言う賛成派は、憲法の何たるかを思い知るべきだ。「なぁなぁ」の無自覚で経済成長だけを目指してきた成績主義お坊ちゃまの日本は、そういう基礎からはじめないとどうにもならない国になってしまったと思う。
「戦争をしたくないから反対」と言う反対派は、日本が万が一どこかの国に攻められた時にどう対処するのか、ということを真剣に考えるべきだ(考えていたらごめんなさい)。

少なくとも現在の国際社会(アジア域内)では、外交・経済を通じた努力によってどうにもならないことなんてないと、僕は思う。
でも、だからと言って「では、日本が実際に攻められたらどうするか」という極論に対しては、強い意見は持てていない。まぁ、仮に実際にそんな事態になったら、個人的に海外に逃亡する方法を考えるけど、 国としてその時に備えるのが必ずしも悪いとも言えないだろう。
ただ、やっぱり、その「極論」はあくまで「極論」に過ぎず、現状では「例えば、明日隕石が降ってきて世界が滅亡するとしたら」レベルの話にすぎないのではないか、というのが個人的な感想。
もし、それが平和ボケだというなら、政府がきちんとその「危険性」を説明すべきだった。


あれだけ長い時間「議論」して、これだけの疑問に政府が何も答えられなかったのだから、やっぱり政府に「裏」があったと思われても仕方ない状況であったと、個人的には感じる。
もう少し踏み込んで言えば、結局、アメリカの言いなりになっただけだろ、なんても思ってしまう。

日本が正しい意味で一つの国になるのは、いつになることやら。
今回の一件で、これまで以上に日本には失望したし、自分が日本人であることにも嫌気がさした。
民主主義でも共産主義でもなんでもいいけど、国が国として機能している場所で生まれたかった。


ついでに、もうちょっと日本に対して感じることを書き留めてみる。

欧米の国では、「国民一人一人が幸せな範囲内で、全体として出来るだけ安定する国家システム」を構築するのが、基礎の「基」になっていると思う。
日本では、「国家が安定するように国民一人一人が限度を超えて頑張り、その中で国民感情が爆発しないようにコントロールするシステム」を構築するのが、暗黙の前提になっている気がする。

今、「国民総活躍社会」とかどこかの誰かさんが言っているらしいけれど、みんな「活躍」しないといけないんですか?
活躍するだけが幸せじゃないとは思わないんですか?路上インタビューにでも出てみればいいんじゃないんですか?「あなたは、活躍したいですか?」
一体、何パーセントの人が「YES」と言うだろう?大半は「活躍できなくても、幸せであればいい」というのが本音なのでは?
(ちなみに僕は、どちらかというと活躍したい人だけど)

「幸せに生きようとするだけだと、経済は成長せず、結果として幸せになれない」と主張する人もいる。
でも、そういう人たちの大半は、経済至上主義に染まった自分たちの価値観(染まること自体は悪いことではない)が全てだと思い込んで、自分たちの欲望(自分たちが「いい」と思うこと)を、 あたかも「社会全体の必然」として語っているだけだ。同じ社会の中には、異なる価値観を持つ人もいっぱいいるのに、異なる価値観は受け入れないで。

「国民一人一人が幸せに生きる」という目的のための手段として「その範囲内で経済や社会的安定性を最大にする」のが、平和な社会での「手段としての経済」の、正しいアプローチのはず。
そんな、最も基本的な「目的」と「手段」を混合する国には、そりゃ優秀な人材は誰も来ないし、出ていけることなら出ていきたくもなる。

10/2 (Fri.)

先週末から風邪を引いていて、体調自体はそんなに悪くないものの、鼻がお花畑状態で息が苦しい一週間。
風邪ひいたり体調崩したりした時には、本当にもう若くないんだ、ということを実感する。


数か月に渡ってトライしている証明がやっぱり終わらないので、目先を変えてこれまでの結果の一般化を先にトライしてみた。
でも、こっちもよく分からない。

ということで、このトピックからはいったん離れて、また数週間後に帰ってこようかと思う。
Randomness好きな人たちに取っては少しは意味のある研究課題だとは思うけども、分野の進歩にそれ程貢献している訳でもないので。

将来、特に日本で研究職を得ようと思ったら、自分が面白いかどうか以上に「他人が面白い」と思う華々しい結果を残していかないと。
NatureやScience級の雑誌に論文を通さないと箸にも棒にもかからない(ように見える)日本の科学界で生き残るのは、本当に厳しい。

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