5/30(Fri.)

今日はBrueckentag。リンク先はドイツ語なので簡単に説明すると 「木曜日が祝日の場合、自主的に金曜日も休みにして、long weekendにしてしまおう!」という日である。もっと簡単に言えば、 「昨日も明日も休みだから、今日も休もっと」という、極めて大学生的な発想の一日なのである。ドイツでは一年に数回ある。
驚くべきことに、このBrueckentagはかなり公的に受け入れられている感じで、多くの会社が自発的に休みにしていたりする。 いいとか悪いとかではなく、ちょっと日本では考えられないような・・・・。 ゴールデンウィークとかの合間であれば、工場とかは休みになるところがあるだろうけど、普通の会社は休みじゃないよね・・・。

wikipediaによると、long weekendは経済的にも社会学的にも極めて重要と書かれているが、きっとそれは「仕事したくない」という 本心を正当化するための言葉遣いであろう。 まぁ、本来、言葉遣いとか論理ってのはそういうため(直截的に言うと綺麗に聞こえない本心を、正当化するため)に使うものだから、正しいのだけれど。


僕は普通に仕事が溜まり気味なので、大学へ。普段は二十五人くらいで賑わう研究室だが、今日は五人程度。

最近は論文を仕上げることに忙しいが、「着想は面白いが結果は面白くない」第一弾だと思われていた方の研究に新しい発見があって、 にわかに自分の中で面白くなりつつある。というか、普通に面白いと思う。
PRA向けにほぼ原稿も仕上がっているんだけど、この結果があるならもうちょっと上の論文誌に出してもいいかもしれないなぁ、と考え始めた。 まぁ、出すだけは無料だし、出してみようかな?

5/25(Sun.)

フィールズ賞受賞者(テレンス・タオ)のblogが、やったらめったら凄い気がする。 Blogでここまで詳細に証明とか定理を書けるのは、やっぱりもう脳裏にばしっと明確な"地図"が見えているからなんだろうな、と思わずにはいられない。
僕を知る人からは「当たり前だ」と叱責を受けそうだが、仮に僕が数学者になりたいと思っていても、大した数学者にはなれなかっただろうなぁ。 その点、物理は気楽でいいです。


さて、今週末は在外選挙人登録などの雑務を兼ねて、ハンブルグまで行ってきた。 ついでに日本祭り?か何かで、日本の花火が上がるというのでその見物も。花火っていうのは、「打ち上げ数」がまず第一に重要だということを思い知った。 一つ一つの花火は綺麗だったんだけど、打ち上げた数がそれ程多くなかったと思うので、あんまり迫力はなかった。


ハンブルグからの帰り、ハノーファーの駅中にあるスーパーで買い物をしていると、ちょっと残念な、しかしドイツではよくある光景に遭遇。

まずはドイツのスーパーお決まりの「買おうと思って手に取ったものの、途中でいらないと思い直し、その商品を適当な場所に戻す」。
これは結構酷くて、冷蔵や冷凍の商品が普通にお菓子の棚に置かれていたりする。もちろん、その商品は腐ってしまう(腐らなくても、もう売れないだろう)ので 廃棄処分と思われる。スーパーに行くと必ず数個くらいはそういう風景を見かけるのだが、その度に「何だかなぁ」と思ってしまうのである。

「日本は食料品の廃棄量が凄まじい」というのはとても有名な事実だが、一応そこには理由があって、コンビニ弁当などを安く売るよりかは廃棄した方が 経済的効率がよい(つまり儲かる)からだ。
しかし、ドイツのこの「手に取ったものを元に戻さない」という悪しき風習(もちろん、一部の人だけだと思うけど)は、合理的理由が一切ない 自己中心的な振る舞い故の「食料品廃棄」である。これは見ていて気持ち悪いし、もうちょっと「他の人に配慮しろよ」と思わずにはいられない。

また、この日は更にひどい状況にも遭遇して、ビールを取ろうとした兄ちゃん二人組が、他のビールを落としてしまって割った。 そして、それを一顧だにせずそのまま無視してビールを買って帰った。
これは大の大人として、どうなのかなぁ、と。というか、僕の価値観から言うとありえない。自分が悪いことをしたんだから、そこは謝るなり弁償するなり するのは普通だと思うのだが。むしろ、ビールが割れても、そちらを一切見ずに顔色一つ変えずに会話も止めずに、何事もなかったかのように買い物を続ける その肝っ玉は、ある意味ですごかった。

実際に割る瞬間を目撃したのは今日が初めてだが、ドイツのスーパーでは結構ビールやジュース、アイスなどが床で散乱してしまっていることがある。 これは、「ドイツ人は自分が落としたものでも拾うかどうか半々」だし、「そこに落ちているものを拾ってあげようという考え方は一切しない」ことに 由来していると思う。


さて、このようなドイツ人の振る舞いから何が学べるのか。 その振る舞いを非難して「そうしないようにすべきだ」というのは簡単だが、根はそんなところにはないと思う。

僕が感じるに、今のドイツでは「自分の意見を持って、明確に述べること」が最優先され、その対極にある「人に配慮すること」はあまり評価されない国になっていると思う。 この風潮は、いい面もあれば、悪い面もある。

いい面としては、「色んな意見があるから人と話していて楽しい」という日常生活のレベルから、「民主主義がうまくいく土壌がある」というメタなレベルまで多岐に渉る。

しかし、「いい面」には必ず「弊害」がついて回るわけで、ドイツで一番有名な弊害としては「対応する人によって、ルールが変わる」だろう。
市役所や銀行をはじめとして、どこでも対応した人が「自分の意見に基づいて」説明するため、正しいルールが適応されずに「その人のルール」で物事が進むことは ドイツでは多々ある。まぁ、これは慣れればそんなもんだと思えてくるし、そもそも日本の「超画一化」がいいことかどうか分からないので、「弊害」レベルだと思う。

最後に、「いい面」はもちろん、「悪い面」と表裏一体な訳である。そして、今日のスーパーではその「悪い面」を目撃してしまった、というお話に落ち着く。


結局、このように考えると、「いい面」や「悪い面」というのは主観的な見方でしかない、という風に思えてくる。
それらを「その国の性格」として受け入れて、その「性格」が行き過ぎてしまわないように、「長所には必ず欠点が存在する」 ということを忘れないのが重要なのではないか、と。僕は、この点で、ドイツはちょっと認識が足りていないか、もしくは開き直りすぎている気がする。

そんなことを考えながら、スーパーから帰ってきた。
この考え方を他人に押し付けるつもりは毛頭ないけれど、自分に子供が出来たら、自分の長所を発見して受け入れられるように成長するだけでなく、 長所に伴って「欠点」も必ず生じるんだ、ということを意識できる人間に成長してもらえたらなぁ、と思った。

5/18(Sun.)

気が付いたら五月も中旬を過ぎていた。四月末〜五月上旬にかけては、 京大白眉プロジェクト日本学術振興会特別研究員(PD)への申請書類を書き書きしていた。

前者はインターネットで応募書類をアップして終わりだから気軽だったけど、後者は郵便で送らないといけなかったから 大変だった。
特に海外に住んでいる人としては、郵送を期日通り送るのは簡単ではない。国際郵便はそんなに正確に届かないし。
今回も色々と危ういところだったけど、結局期日通りに郵送を完了した。今でもインターネットの追跡サービス上では書類はドイツにあることになってるけど、 まぁ届いたからいいや。

申請書類が終わったので、ついでにこれまでの結果をまとめた論文を二本、書き終えることにして現在は論文執筆中。
アイデアは面白かったと思うんだけど、最終的に面白い結果にはたどり着けなかった結果なのでPRAでいいや、と思っていたら、 一緒にやってたTobiasが「まずはPRLを狙わないでどうするんだ」と言い出したので、とりあえずPRL向けに書くことに。 出すかどうかは分からないけど、確かにPRL向けに書こうとしたら量も減るので、書くスピードも上がっていいかもしれない。


嫁がドイツに来て一緒に暮らすことになったので、引っ越しもした。前に住んでいたところも新しいところも、どちらも家具付きなので大した面倒はなかったけれど、 住所変更とかは細々と。
まぁ二人で楽しくやってます。今までは大学から帰ってきて買い出ししてご飯作るところまで全部自分でやっていたけれど、今はそれを嫁がやっておいてくれる。 楽だと感じると共に、普通に罪悪感も感じる。この気持ちと、感謝はずっと忘れてはいけない。


ということで、論文書きもひと段落したら、新しい研究を本格的に始めます。ネタは二本あって、一本は結果が得られることは確定。 もう一本はどこまで出来るかなぁ、と。こっちの方はメジャーなトピックなので、何とか頑張りたい。


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