E veryday- D iary

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7/31
朝、JAPAN festivalの懸念事項であったパーティション問題を解決するため、自作用の 角材を探しに行く。
安く見つかってよかった。
ついでに、パイプ椅子まで見つけてしまう始末。
これで会場設備はかなり目処がついた。

昼はその会場とのミーティング。
そろそろ詳細が煮詰まってきた感じ。

夕方からJAPAN festivalのミーティング。
会場設備に関しては、そろそろ細かい煮詰めに入りつつある。
これからはブースなどの予算申請が問題になってくるだろう。

夜は疲れていたので飲みに行ったら、ビールが無料だった。
飯もうまかったし、満足。


7/30
朝からアジスに上がる。
事務所で仕事とか。

これから十日間はアジスで仕事。
そのあとは日本からの調査の人に付き合ってエチオピア調査。
そのあとは友人が来て人生相談。
(東大理物で最も変だったやつがきてしまう)
そのあとは親が来てエチオピア観光。

こうして八月末まで終わった。


7/29
電気がある日。

なのでパソコンを使って資料作成。

夜は少しだけ物理の話で盛り上がった。
いかん、完全に物理から離れてしまっている・・・。
でも、この忙しさだと仕方がない・・・。


7/28
電気がない日。

なので、とりあえず紙ベースで色々とプランニング。
八月初旬に「中間報告会」なるものがあり、この一年の活動報告をしないといけないのだが、 偉そうな報告プランが完成してしまった。
まぁいいや、所詮、JICAだし、偉そうに発表してやろう。


7/27
今日は電気があるので、お仕事三昧。
結構捗ったと思う。
しかし、八月末まで気の許せない状況が続く。

夜はカレー。
ばり旨かった。

タンザニアで買ってきたココナッツパウダーと、辛いピリピリソースを混ぜると絶品。
彼女がタンザニアにいるので、帰国時には大量のココナッツパウダーとピリピリソースを買ってきて もらおう。


7/26
朝からメタハラに戻る。
やはりメタハラは暑い。
が、心癒され幸せだ。

とりあえず今日は電気がない日だったのだが、水は出たのでよしとする。
一ヶ月前は「電気がない日は水も出ない」だったので。

ところで思うのだが、最近、どうにも僕が世界に取り残されている気がしてならない。
エチオピアですら、日進月歩、もの凄い勢いで進歩している。
いわんや世界は、である。
その中において、僕は日進月歩、進歩しているのだろうか?
たとえば東京大学で揉まれていれば、六割くらいの自信をもって「YES」と答えられるだろうし、 客観的に見てもそうだろう、進歩の度合いは人それぞれだけれど。
ただ、現状で、揉まれることのない現状では、自信をもって「YES」なんて答えられない。
「I hope」が関の山だ。

それを覚悟してエチオピアに来たとはいえ、少し苦痛である。
負けず嫌いの僕には、やはり対抗する何かがあった方がよい。

不安も募るが、しかし、その不安に耐えて将来への準備を怠らないこと、それが進歩に繋がっている ことを祈る。


7/25
朝から友達から依頼された雑務。
その後、適当にぶらぶらしていた。

疲れが溜まっているようで、昼寝もしまくった。
そして、エチオピアに遊びに来ているパッカーつながりの友達二人と話していると、 JAPAN festivalの問題も少し解決の目処がついた。

思うのだが、パッカーの友達の方が、色々とアイデアを出してくれて仕事を助けてくれる。
結局、仕事はアイデアから始まる。
アイデアを作り出せない人は歯車として働くしかない。
昔は、歯車として働ける人はすごい、と尊敬していたが(僕は絶対になれないから)、 今は、少し、その尊敬の度合いが下がった気がする。
実際に仕事の現場を経験してみて、やっぱり、歯車は歯車にすぎない、と思ったから。
まぁ、人それぞれの生き方があると思うが、僕はやっぱり、歯車的な仕事は性に合わない。
仕事している感はあるし必要ではあるんだけど、面白みがないから。

自ら発信して、自ら組み立てられる人がよい。

夜は中華料理。
うまかった。


7/24
昼過ぎから、エチオピア首相のメレスに会う。
日本の政治家からの圧力で実現したこの企画は、JICAの活動紹介と意見交換を目的としている。

通常は中に入られない首相府に入り(日本の「かんぽの宿」みたいなつくりだった)、 日本大使、JICAエチオピア所長、調整員と共に六名のボランティアがメレスと会見。

自己紹介を経て、理数科教師代表として僕が軽くプレゼンした。
用意しておいた実験が、今まで失敗したことないのに失敗して、「やっぱり実験は本番で 失敗するもんなんだなぁ」としみじみ思った。
まぁ、用意しておいた予備で成功してよかった。

プレゼンも、途中でしどろもどろになってしまったが、そんなもんだろう(笑いも取れたし)。
今回のメレスへのプレゼンを通じて思ったのは、やっぱり僕は別に特別才能に長けているわけでもなんでも なく(そもそも才能というものがあるのかどうかすら分からない)、僕は努力した分だけ結果が出る人間だ、 ということだ。
今回のプレゼンだって、ここが勝負どころ、と思っていたところでしどろもどろになった。
「勝負どころは八割、負ける」それが勝負の鉄則だ。

第一、僕が得意としていること(数学であったり物理であったり、果ては身体能力であったり)は、 基本的には「それだけのことをやってきたから」だと言える。
僕が何か人には無いものを持っているとすれば(持っているとは言わない)、それは 「自分が納得するまで凝って、やり切る意思」なのかもしれない。

妥協して楽した仕事からは、何も生まれない。
感動も、成長もない。

僕は、「やらないと」だめな人だ、と改めて思った。
そういう謙虚さを忘れてはだめだ。
高校の柔道部でも同じことを感じてたのを思い出した。


とにかく、僕のプレゼンのあとは、IT隊員によるプレゼン。
そのプレゼンが終わってから、メレス首相から隊員へ色々と質問。
結局、メインポイントは「1.継続性」「2.他の地域への拡大」の二点であった。
それは僕たちボランティアも感じていることであり、というか、まぁ、その二点はJICAの永遠の問題で あろう。
点で終わらせない活動、が重要だが、それを実現するための努力をしていないのがJICAだ。

僕が東京大学のPhDの生徒だ、ということを強調しておいたので、名指しで幾つか質問してもらえた。
やった。
使える武器は使わないとね。

結局、30分の予定が、1時間半にわたる会見。
単なる表敬訪問に終わらず、意見交換できたことはよきことである。

とりあえず、仕事が一つ終わったので、夜はワインを一人で一本飲んでおいた。
なんだか、酒飲み友達もいないし、まぁ、一人でいいのかな。


7/23
雑務雑務雑務。
本当に嫌になる。


7/22
朝から疲れている一日。
午前中は書類うちの仕事に追われ、午後はエチオピアにおける授業勉強会。
それが終わったら、また書類の仕事。

明後日にエチオピア首相のメレスと会い、僕が数分程度のプレゼンをするので、その準備も 大変。

しかし、ようやくここ三日くらいの忙しさが過ぎ去ろうとしている気がする。
とはいえ、この一過性の忙しさが過ぎれば、慢性的な忙しさに戻るだけだ。
JAPAN festivalの会場備品の目処をさっさとつけたいが・・・解決のアイデアなし。


7/21
朝から事務所で仕事三昧。

昼からJAPAN festival担当の大使館員とミーティング。
JICA側から小言も言われたが、まぁ確かに的は射ており、なんだか疲れで仕事に関するイマジネーション が下がっているなぁ、と思った。
そして、反省。

幾つか問題点もあり、その中のさらに幾つかはかなり大きな問題なので、胃が痛い。

夕方から、ゆきさんとご飯。
いっぱい食べていっぱいは飲めなかった。
どちらも、食後に仕事があったからだ。

ということで、僕は食後、夜中の一時まで仕事をして寝た。


7/20
革や布やを見に、マルカートへ。
これでオッケー。

マルカートから帰ろうと思ったら、土砂降りに振られてびしょびしょになった。
ようやくミニバスに乗ったら、VIPが丁度クウェートから来たらしく、道路封鎖のために 通常十五分の距離が一時間かかった。
ドミに戻ってからも、仕事はあまり進まず。

よくない。
夜はだらだらと午前三時まで。
よくない。


7/19
夕方まで仕事をのんびりと。

夕方から、誘われてフットサルの大会に出た。
いかんわ、へたくそだ、俺。
一得点あげたけど、だめだぁね。
体力の衰えを物凄く感じた。

ついでに、人から借りた靴でプレーしていたので、足の親指の爪がつき爪?みたいに なって、真紫色に変色してしまった。
痛いわ。

夜は理数科隊員で飲みに行って、ドミに帰ってきてから新隊員のKさんが「インジェラ食いたい」 とか言い出したために、インジェラを工夫して美味しい料理を作ろう大会が始まった。
いや、アイデアだけだけど。

有望そうなアイデアは
・ばななをインジェラで巻いて揚げる
・まーぼーいんじぇら
・はちみつ ば インジェラ
・アボガド ば インジェラ
などだろうか。
誰か実行に移してください。


7/18
朝からマルカートへ買出し。
メレス首相に見せる実験器具を探しに、ガラクタを発掘。

その後、移動して、服をちょっと買ったり。
その他、革ジャケットのオーダーもした。

疲れが溜まっているようで、他の仕事は何も。
でも、夜は少しだけメレス首相向けのプレゼンの準備を進める。


7/17
午前九時から午後六時まで仕事・仕事・仕事。
JAPAN festivalと、メレス首相との会談に向けての準備がメイン。

はっきり言って、やっていて面白くない。
でも、やっていて面白いことは何か?といわれると、エチオピアではほとんど見つけられないので、 まぁ、仕方ないか。

夜も八時から十二時まで仕事。
そこから、新隊員と少し話をして、午前二時就寝。


7/16
朝からアジスに上がる。
今日捕まえたバスは速度も出て快適であった。
あいかわらず思うのだが、僕は車のエンジン音を聞くと、心が安らぐようだ。

昼にアジスについて、昼飯を食べつつメールチェック。
その足で、日本祭り改めJAPAN festivalの会場に向かい、見積書ちょうだいって催促。
その足で、パーティションをレンタルするためにイベントホールに向かうが、無残に惨敗。
「あなた達のタイムテーブルでは設置なんて出来ない」という、高圧的な反応。
いつも思うのだが、なぜエチオピアの人は客を断るときに必要以上に「俺様の勝ちだ!」とでも 言わんばかりの高圧的な態度に出るんだろうか?
そして、高圧的な理由は大概、「ボスがそう言ってるから無理」という、なんだか「私は 無力です」と言わんばかりの理由。
日本でも、窓口の融通の効かなさには閉口することがあるが、ここエチオピアでは窓口は 本当に電話交換手みたいなもので、やってられない。

一日目。
「見積書を欲しいんですが」
「分かった。じゃあ、レターに書いてを持ってきて下さい」
二日目。
「レターを持ってきました、見積もりしてください」
「このレターは、サインと会社の印がないから受け取れない。公式文書を用意しなさい」
三日目。
「印入りのレターを持ってきました。これで見積もりしてもらえますか?」
「分かった。じゃあ、ボスに聞くから明日きてください」
四日目。
「いかがですか?」
「見積書を作ってよいとボスから回答がきた。」
「では見積書をください」
「分かった。それでは今から見積書を作るから、明日きてください」
五日目。
「見積書は出来ましたか?」
「出来ました。」
「このタイムテーブルで運び込むことは可能ですか?」
「あなたのレターにはそんなことは書いていなかったから、ボスはそれを許さない。無理だ」

ま、実際にはもっと紛糾するんだけど、窓口の人が口にするのは「レターを持ってきて下さい」 「ボスがダメだと言っている」「明日来てください」の三言だと思ってよい。
日本だったら一時間の交渉が、五日もかかって、そして、高圧的に追い返されるのがエチオピアだ。

ところで、来週末、エチオピア首相のメレスと対談することになった。
その準備もしないといけなくて、そして、JICAの一員として対談するためJICAの チェックも入るからちゃんとした準備じゃないといけなくて、大変。

もう、仕事が次から次へと降りかかってきて、死にそう。
今日も午前一時まで仕事した。


7/15
今日は電気があるので、フルパワーで仕事。
途中、用事もあって学校に行ったりもしたが、基本的には夜の12時までパソコンに向かっていた。
久しぶりにこんなに英語で書類を作ったよ。

そして、ひさしぶりに目が完璧に充血した。


7/14
今日は停電の日。
でも、今日締切の書類もあるので、朝から晩までかなり働いた。

昼間に、人からの頼まれごとを伝えにGTFに行ったが、相変わらず対応が素早くてよい。
日本では当たり前でも、エチオピアではかなり評価が高いな、この対応は。
カラユの生徒は、GTFの援助でアルシィと呼ばれるところに英語のトレーニングを受けに行っている ようで、帰ってくるのが楽しみ。
なんでも、カナダ人から教わっているらしいので・・・って、奴らにカナダ英語が聴き取れるのだろうか?
それが心配。

夕方は、学校の同僚教師たちと今年度お疲れ様でしたパーティ。
日本で考える飲み会みたいなことが行なわれた。
普段はお金をケチってあんまり飲まない教師達もみんな結構飲んで、酔っ払ってた。
みんなして、来年頑張るぞ、生徒をよりよくするんだ!と言っている姿に、少しだけ嬉しくなり、 でも、まぁ、口先だけなんだろうな、とも思った。

飲み会から帰ってきて、12時までお仕事。


7/13
今日は比較的ゆっくり出来るかと思いきや、よくよく考えたら明日は終日停電の日なので、パソコンで仕事 出来る時間が限られている・・・
結局、今日、頑張らないといけないんじゃん・・・
ということで、エチオピアに来て初めて午前一時まで仕事した。

ところでエチオピアは今、隔日停電である。
つまり、多少誇張して言えば、世界のスピードの半分でエチオピアの仕事は動いている、と言える。


7/12
朝食を白鳥さんご夫妻とご一緒する。
旦那さんはJICAの専門家でFRGという農民参加型プロジェクトを五年に渡ってエチオピアで展開されてた 方。
奥さんは「アフリカ理解プロジェクト」の代表で、僕も直接関係して仕事をしていた。

この度、FRGプロジェクトの第一フェイズ終了につき、明日帰国するお二人と最後のお別れ。
って、今後も思いっきり関係していくんですけどねw

色んな話をしたが、やっぱり「でっかく考えて、チマチマ動かないといけない」ということだ。
そして、「ボランティアとは、自分の存在を消すことを前提とした活動だ」ということだ。
ま、僕がこの一年を通じて思ったこと、出来るようになりつつあることは、その二点かな。
大した成長です。

昼前からメタハラに戻る。
昼はお仕事して、夕方は同僚教師たちとの一年間お疲れ様でしたパーティ。
同僚は今、「土日なしの12日間ぶっ通しセミナー:教育力向上のために」の真っ最中である。
なんで土日なしにするのかが意味不明だなぁ、と思うが、まぁ、やる気は評価すべきだ。

最後の閉めの挨拶で「来年度は、生徒達によりよい教育を与えるために、先生が団結して頑張ろう」みたいな ことを言っていたが、これは画期的なことだと思う。
普段は「生徒はやる気がないからダメだ」と生徒のせいにしているのに、「先生が頑張ろう」と言ったのには 少し驚いたし、嬉しかった。
まぁ、十中八九口先だけなんだが、口先だけでも出ないよりかはマシだし、口先が出るということは、 僕達が後押しすれば変わる可能性がある、ということである。
来年は僕もモラル教育を少し頑張ってみようか。


7/11
朝から停電。
予算書などを頑張ってつくる。

昼からミーティング。
二時間半ほどかけて、割ときちんと詳細を決める。

夕方はかばんづくり提案。
思い通りいかず、次回に持ち越し。

夜は長谷調整員の家でお呼ばれ。
前半はエチオピア人とやりあって、後半は後輩隊員に先輩面を(なるべく吹かせないように) 吹かせてみた。
エチオピア理数科隊員が、これを機会にまとまっていってくれればいいと思う。

とか思ってたら、某A隊員が飲みすぎて暴走して大変。
「ここまでの酔っ払いは始めてみた」と新隊員に言われ、写真を撮られまくる始末。
ま、いいんですけどね(笑)
ちなみに、僕も結構飲みましたが、全然正気を保っていました。


7/10
朝一でアジスアベバに上がる。
バス探しで失敗してしまい、結局五時間もかかった。

アジスについてすぐさま「日本人祭り」の会場交渉へ走る。
会場自体はほぼ抑えられる感じだし、中もいい感じだ。
その後、備品を交渉しにいくと、見積もりを欲しいというだけなのに「JICAからの公式レターをもってこい」 との命。
あほか。そういうのが仕事の効率を悪くしていると思う。
日本も人のことを言えないかもしれないが、抑えるべきポイントをしっかりと抑えておくだけでいいのに。

その後、JICA側と少し交渉し、書類作りをして、知り合いのJICA専門家<が行なっていたFRG プロジェクトの帰国報告会。
アイデアは湧く。

夜も書類作り。
こう考えると、よく働いた一日だ。
明日もミーティング三つ。


7/9
朝から凄い勢いで書類作り。
一日で五セットくらいの書類をつくった。

夕方、メタハラの街を散歩していたら同僚たちや生徒と大量に遭遇。
久しぶりの会話を楽しんだ。
どうやら、今週末の日曜に学校で行事があるらしい。
ということで、予定変更で、明日、アジスに上がって明日と明後日はミーティング漬けの日々を送り、 日曜の午前中にメタハラに戻ることに。
忙しいぞ。


7/8
朝から終日停電。
ふと気づいたが、今、僕はPCを使う書き物の仕事が山積みで、そして終日停電だと・・・仕事ができん!

パソコンをつけている時間を最小にすべく、下書きを繰り返して仕事した。

そういえば、朝一で学校にも行ったが、学校は今、教師ミーティングの真っ最中。
来年、選挙だから、政治教育が盛んに行なわれる今の時期である。

仕事のはかどり具合はそこそこ。
しかし、タンザニアでもらってきた風邪は未だに完全回復には至らない。


7/7
朝からメタハラに戻る。
途中でバスが故障したり、バスの屋根に載せていた荷物が落ちたりして、通常4時間弱の行程が 6時間近くかかった。
ぶっちゃけ6時間程度のバス移動は苦痛ではないが、予定外の6時間は苦痛だ。

帰宅したら、電気も水もあって快適。
メタハラ長期滞在中の友人と夜を過ごした。

七夕だけど、夜は薄雲と月明かりであまり星が見られず。


7/6
朝一で全ての仕事を終わらせてメタハラに戻る予定だったが、仕事の進み具合が遅く、さらに 調整員と話し込んでしまったので、メタハラに戻れなかった。
そして、調整員と話す中で、これまたでっかい企画が持ち上がった。
この調整員のこの行動力は最強だなぁ、と思う。

交渉系のお仕事は無事終わり、夜は書き物。
未だに仕事は思う存分、溜まっています。
もう勘弁。


7/5
パソコンのセットアップを頑張る。
仕事を進めようとするが、ワードがないから、これまた大変。
ネットも遅いから、これまた大変。
とりあえず、日記を先に仕上げておいた。

夜はやる気隊員のR太とサラサ・フレッドに飲みに行った。
久しぶりに食べる「ズルズル・ティブス」はやはり美味しい。
夜もPCと格闘して、寝た。


7/4
エチオピアに帰ってきて一晩寝ても、まだ実感が湧かない。
でも、メールを開くと仕事の溜まり具合に実感を湧かざるをえなかった。
ほぼ一日中、メールチェックとパソコンのセットアップ。

夜は同期隊員で「来エチオピア一周年記念」
同期はやはり、どことなく特別である。
なんていうか、楽だ。
そりゃ、エチオピアに来る前に訓練所で二ヶ月も一緒に暮らしているんだから、短所も含めて、 かなり色々なことを共有しているもんな。
一緒に暮らす、ということの力はものすごい。

しっかし、最近、日本語が出てこない。
もちろん英語も出てこないし、アムハラ語も出てこない。
脳をクリーンアップしたい気分だが、このもやった感じが深みや思い切りを与えてくれる。
剣道の達人(名前は忘れた)が、「足が動かなくなれば動かずに竹刀を振る術を覚え、竹刀を振れなくなれば 振らずとも相手を負かす術を覚える」みたいなことを言っていたが、その通りである。
脳内細胞だって、常に変わり続けているんだから、そこにアジャストした考え方、行動をとればよい。
変わるべきではないのは、「変わり続けることで、その道を極めようとする覚悟」だけである。

歳をとって成長したということなのか、退化を隠す言い訳を覚えたということなのか。
それは、帰国後、成果が残れば成長とよばれ、成果が残らなければ言い訳と呼ばれる。


6/25-7/3のまとめ
  • タンザニアに行った。
  • ここ数ヶ月の疲れが溜まっており、珍しくよくない旅の始まり方を してしまった。反省。
  • タンザニアにあるエチオピア料理屋は「おいしいインジェラ」を出すため、タンザニア隊員に 「エチオピア料理は美味しい」という間違った認識が流布してしまっている。これは危険な発想だ。 「アルカイダが世界平和に役立っている」という発想と同じくらい、危険な発想だ。 世界でも有数の「不味い料理」であるエチオピア料理をもっと正確に伝えねば、と思い、その不味さを 強調しておいた。本物のインジェラを持っていけばよかった・・・。
  • サファリはダルエスサラーム近郊で済ませたため、およそサファリっぽくないサファリ。ただ、 偶然にも泊まったロッジが「エコ・ロッジ」で自然と一体になれた。「自然と一体になる」という言葉自体が 人工的で好きではないが、やはり、欧米の人が作った「エコ・ロッジ」はそういう感じが否めない。 ただ、そんな個人的感想を差し引いても、素晴らしいロケーションではあった。
  • ドドマ(タンザニアの首都)に行った。何もないだだっ広い街だった。 少し乾燥しているので、僕の任地にも似ている雰囲気があった。
  • ドドマの市場は活気に溢れている。と言っても、それは市場に限ったことではなく、タンザニア人自体が 陽気で活気に溢れている。エチオピア人が「シャイで陰気」と形容される謂れが良く理解できる。 タンザニア人は短絡的だが、エチオピア人はもうちょっと複雑。でもどちらにしても、日本人の複雑さには 適わない。よく海外で言われているようだが「日本人は何を考えているか分からない」というのは、今回の 旅で日本人を観察していると、理解できるような気がした。
  • ドドマでライオン・ロックと呼ばれる岩山に登った。頂上に登る為には少しだけクライミングをしないと いけないが、失敗したら大怪我することが間違いない危険なロケーションだったので、頂上直下で諦めた。 もしも次回、訪れる機会があればリベンジ。
  • ライオンロックから降りてから行ったレストランがやけに思い出に 残っている。何が?というのではなく、その雰囲気がとても心地よかったんだろう。
  • エチオピアのビールも旨いが、タンザニアのビールも旨い。数種類あるが、やはり、「セレンゲティ」と 呼ばれるモルト100%のビールの存在がいい。好き嫌いは別として、そういったこくのあるビールから薄いビールまで 満遍なく揃っていると、ビールのローテーションだけで一晩中、飽きない。エチオピアのビールは全部薄いので、 残念。
  • 彼女の家に滞在中、彼女が僕より先に起きて朝食にパンを焼いてくれたのが、なんだかとっても心地よかった。 家庭の幸せは「誰かが自分のために何かをやってくれる」という相互扶助にあるのだろう、と思った。 一人孤独が好きな僕が「誰かが僕に何かをやってくれる」ことに対して心地よさを感じるようになっている。 僕も少し変わり始めているということだろう。人の一生を考えると、26歳を迎えた僕はそろそろそういう フェイズに入りつつあるんだな、と一人感じていた。
  • 海に面したリゾートで羽を伸ばした。波の音だけでご飯が何杯も食べられる。
  • 喧嘩もいっぱいした。シーソーみたいに「あっちそっち」と、いじけた天秤が揺らいでいたが、 揺らし始めたのは僕だし、僕が悪い。というか、いじけた天秤がシーソーのように揺らぐのが珍しい。 僕は気難しいから、怒ったら相手には絶対に妥協しないタイプなのに。 そういう相手なのである。
  • 海産物が死ぬほど美味しかった。あと一押しで泣くところだった。 「幸せは我慢した分だけ、訪れる」ということを心の底から実感してしまった。 そういったマゾチックな考え方には僕は同意しないが、しかし、一年間、まずいインジェラばかりを食べて鈍ってしまった 味覚に、新鮮なお刺身の味は、天国の味、絶品、拍手三発、ほっぺが落ちる。 食べ物でこれほど感動する機会は、そうはあるまい。
  • 買い忘れもあるけど、お土産物も満足いくレベルで買った。タンザニアの布はエチオピアとはまた 違ってかわいい。
  • カリアコーと呼ばれる市場エリアは、インドっぽい雰囲気。高い建物が比較的狭めの路地ぎりぎりまで 進出してきていて、ヨーロッパの雰囲気を残すアジア、という感じがした。聞くところによると、本当に インドの街並みの参考にした区域だとか。野菜やモノの種類がエチオピアより断然あった。エチオピア人は「ケニアや タンザニアはcivilizedしていない。エチオピアだけがcivilizedしている。」と言うが、少なくとも 街並みやインフラを見ていると、エチオピアだけが東アフリカで取り残されている。
  • ダルエスサラームの都市計画の大部分は 植民地時代に行なわれたものだと思うので、建物が適度にばらついており、植民地時代の名残を感じられる。 それに比べ、エチオピアは植民地化されていないので、独特な建物の配置になっており、というか、高級住宅地も 含めて全て密集しすぎ、密度で言えば総スラム化である。どちらがよい、という訳ではないが、エチオピアに 一年暮らした人がタンザニアに行くと、開放感を感じる。
  • タンザニアは楽しかった。自然を見れなかったのは残念だが、ほぼ間違いなく、僕の人生の中でもう一度 訪れることになると思うので、その時に見よう。ただ、どちらかというと、僕はエチオピアの方が好きかも しれない。人に薦めるならタンザニアだが、エチオピアの暗くて埃っぽいお国柄の方が、何となく暮らし甲斐がある。 ・・・・はっ!?マゾ的発想??
  • 計三度目の別れになるが、今回が一番さびしかった。

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