E veryday- D iary

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5/31
午前中、昨日の酒を引きずっていたのでダラダラとして、昼前からICTエキシビジョンを見に行く。
隊員が発表しているところには人だかりが出来ていた。

その後はドミに戻って、やっぱりお仕事。
夕方は先輩隊員のお見送り。

そして、午後七時から某プロジェクトのキックオフ・ミーティング。
さてさて、うまくいくか否か。

とかいう仕事をしているかと思えば、明日から再び、バレ・マウンテンの方へ旅行である。


5/30
朝からやっぱり理数科のお仕事など。

夕方から、JICA調整員の政金さんと飲みに行く。
ハキム・スタウトという黒ビールを飲めるお店を見つけたので、飲む飲む。
正好、亮太、赤羽根の三人と一緒。

旅行の思い出話などで盛り上がった。
いやぁ、飲んだなぁ。

ドミに戻ったら、現在、ICTエキシビジョンなるものに出展しているコンピュータ隊員たちが飲んでいたので、そこに加わって雑談。
活動って難しいよねっていうお話。


5/29
朝からお仕事お働き。

今晩は先輩隊員の帰国送別会なので、昼から鶏をしめる。
そして、照り焼きチキン失敗しちゃったしょうが焼き風チキンを作る。
大好評。

あ、そうそう、チキンは遂に、「万能ナイフ」で解体することに成功しました。
「万能ナイフ」って、実はナイフの部分を使ったのは初めて。

しかし、どうにもこうにも、日本人が大量にいる場所に馴染めなくなってしまっていて、自分の居場所を見つけられなかった・・・。


5/28
朝、友人が吐く音で目覚める。
二人は二日酔い、僕もかなり体が重い。

しかし、今日はとりあえずアジスに戻る日なので、ささっと身支度を整えて、午前五時にバスに乗り込む。
あとは一路アジスまで。
他の二人は昼間も吐いたりと、大変だった。
そして僕は、というと、隣に座った人がダニを持っていたらしく、体中百箇所以上、かまれた。
かゆくて発狂するかと思った。

無事、午後五時にアジス着。
今回の、この合宿旅行は、めちゃくちゃ楽しかった。
いやぁ、いいなぁ、こういうやつらと旅行できるのは。
ぶっちゃけ、エチオピアって見るとことはあまりないけど、こんな友人がいれば面白い。

しっかし、いやぁ、疲れたな。


5/27
田舎町メラウイからインジバラへ移動。
インジバラは隊員が三人もいて、しかも小さな町なので、三人で力を合わせれば何でも出来るだろうなぁ、と思うが、そういう 雰囲気のない三人である。

とりあえず、今日は特に運動もないので、真昼間からビールを飲み、近くの丘に散歩がてらに登った。
んで、戻ってシャワー浴びて、夜はお待ちかねの打ち上げ!

今回の旅は、13時間のバス移動から始まり、毎朝六時起きで、毎日2時間ほどの運動と最低4時間のバス移動が組み合わされた、まさに強化合宿であった。
サンダルで走ったし筋トレもしたし崖も降りたし重い荷物背負って歩いたし。
ということで、明日も10時間以上のバス移動が待っているのだが、ここで打ち上げだっ!!

一人ジョッキ大を6杯か7杯飲んで、さらにエチオピアの焼酎、アラケを飲みまくる。
最後はコールまで出始める始末で、みんなゲロゲロ。
みんな真っ直ぐ歩けないようになってから、隊員の家に戻って就寝。
いやぁ、吐きまくったけど、久しぶりにオモシロイ飲みが出来た。

・・・・が、明日は朝五時出発・・・。


5/26
バハルダールに戻ってきた僕たち。
泊めさせてもらった隊員は、観光隊員なので、朝一でタナ湖のクルージング。

タナ湖はエチオピア最大の湖で、青ナイルの源流です。
でも、色は真っ茶色であんまり綺麗じゃないのがかなり勿体ない。

湖に浮かぶ島々には、17世紀頃に建設された修道院があり、そこも見物できる。
が、そこもしょぼい。
見るに越したことはないかもしれないが、見る価値はないわなぁ・・・。
17世紀くらいのものを「13世紀のもの」と紹介していたのは、さすがエチオピア。

クルージングを終えて昼飯を食べてから、今度は青ナイルの滝へ。
バスで一時間ちょっとの場所にあるが、バスの係員がありかたりにぼったくってきた。
「今日は市場が開かれる日だから、15ブルだ」と言うが、本当は7ブル。
「じゃ、明日は7ブルなの?」と聞くと、「いや、明日も15ブル」、はい、ぼったくり決定。
仕方ないので、ちょっと離れたところにいたエチオピア人に「ここ、7ブルのくせに、あいつ、15ブルって言ってるよ」って 笑いながら声をかけたら、相手も「7ブルだよ、あんたが正しい」と乗ってきた。
数人のグループで、ぼったくろうとしたそいつを見ながら笑っていると、最終的にそいつもぼるのをやめて7ブルで乗れた。
全く、ばか丸出しだ。

青ナイルの滝は、残念ながら今は乾季なのであんまり凄くなかった。
でも、滝の裏の岩肌を見れたのは乾季ならではかな?
雨季の滝は、間違いなく壮観だろうな。

そして、夜はメラウイという隣町に移動して、そこでいっぱいビール飲んで寝た。

ちなみに、メラウイと僕の町メタハラを比べた場合、メラウイの方が田舎だがメタハラの方が小さい。
この二つが、エチオピア隊員がいる町で最も田舎な二つの町です。


5/25
旧首都のゴンダールで過ごした一夜。

ちなみにゴンダールにはかつて、自分でアムハラ語のラジオ番組を持っていた、という強者協力隊員がいた場所でもある。
おかげで、街中で結構、「こんにちは」と声を掛けられる。

朝一で、ファラーシャ村を訪れる。
ユダヤ教の村である・・・・が、エチオピアの底力を見てしまった。
「この建物への入場は一人十ブル」と言われたので、「しょぼい博物館なんだろうな」と思いつつも払って入場すると、 内部にはなにもなし!
これにはびびった。
「見せるものがなにもないのに、入場料をぼったくる」なんて、スバラシイことです。

その教訓を活かし、次のお墓は値切りに値切って、一応、入った。
まぁ、ユダヤ教のマークが沢山あっただけ。
少しは感じるものがあったけどね。

その後、ゴンダール城を見学。
ヨーロッパ中世の城と見間違うような城だが、廃墟になっており、しかも見取り図も全くないので、どうも勿体ない。
もうちょっと力を入れれば、もっといい観光名所になるのに。

そして、昼飯を食べて、一路バハルダールに戻る。
また四時間のバス移動です。

そして、バハルの隊員の家に泊まる。
夜はかなり疲れが出ていたなぁ・・。


5/24
バハルの隊員の家に泊まった僕たち。
その隊員が週三回、午前六時からテコンドーをやっているので、今日はそれにお付き合い。

昨日の13時間バス移動で疲れた体を鞭打って、午前五時半に起きる。
午前六時、ランニング開始。
正好に騙されて、サンダルしか持って来ていなかった僕は、サンダルで走る。
が、1kmちょっとで挫折・・・・ふくらはぎつるって。

走った後は、筋トレ。
立ったまま馬とびしたりと、まるで小学校の体育の授業(の強化ver.)。
腕立てや腹筋もさせられて、ふと、「なぜ俺はバハルまで来て筋トレをしているんだろう?」と心が挫けそうになった。

午前八時頃に終了。
隊員の家に戻ってシャワーと朝飯。
そして、みんな揃ってゴンダールまでバスで四時間ちょっとの旅。
ゴンダールまでの道も綺麗だった。

ゴンダールの入り口にある、「ダッシェン」というビールの工場で下車。
ビールを飲みまくる、うまい!
そして、料理も本気でうまかった。エチオピアの料理基準は激低なのに、ここは日本でも中のちょっと上くらいの味。
これはうまい!

そして、その後、ゴンダール入場。
昔の首都だけあって、見るものはたくさんあるが、とりあえず今日は洗礼のためのプールを見てみた。
入ってしばらくしたら、「入場料よこせ」と言ってきたので「もう見たから出て行くね」と言って出てきた。
ちょっとひどい?でも、入場料と偽って金をぼったくろうとしてるだけの可能性もあったから。

とりあえずホテルを予約して、その後、丘の上にある高級ホテルにお茶を飲みに行く。
眺めがよかった。
ここで駄弁って、そして、帰りは敢えて「道のない崖を下る」俺たち。
いやぁ、楽しかった。
やはり、道を自分で作ってこその、旅だ。

夜はそれ程飲まず。
少なくとも僕と正好はものすごく疲れていたので、九時過ぎに寝た。


5/23
午前四時にドミを出発、バス・ターミナルに向かう。
午前四時半、バス・ターミナルに到着、まだ開いてねぇ。
しかし、運転手が中に入るときに「外人だから入れて☆」って言ったら入れてくれた。
バスの助手席を確保、辺りはまだ暗いが、ハイテンションな二人。
午前六時、出発。運転手に「アト チャカチャカ、ズンバル(うるせーぞ、静かにしろ)」って言われた。

そして13時間のバスの旅が始まった。
バスの中では、思い出話や真面目な話、笑い話など、なんでもあり。
正好がどう思ってるかは知らないが、こいつが一番、とっつきやすくてテンション系の楽しみを感じられる。

途中、ものすごい渓谷を渡り(その底を流れる青ナイル川は、日本の鹿島建設が建設したスバラシイ橋)、田園風景や崖を眺め、そして、 目的地のバハルダールに着いたのが、午後七時前。
距離は550km程度だが、バスが遅いんだもん。何十年前のバスだよ(本気で)

バハルに着いたら、他の隊員が出迎えてくれて飲んで食べて。
テンション高かった。

隊員の家に泊めてもらって、停電なのですぐに就寝。
明日は午前五時半に起きてテコンドーだ。


5/22
朝一で学校に少しだけ顔を出す。
で、生徒と少し話をして、バスに飛び乗ってアジスへ。

アジスに着いたら、事務所に顔を出して用事して、夜は某企画のために数人で飯をたべながら企画を練る。
これはやる方向に傾いてきた、というか、やることが決定したな、と思った。
やりたくないが、やろう。
そこは「やるべきこと」の一環として。

夜の九時にドミに戻り、明日は午前四時にドミを出るので就寝。
明日から、同期隊員の正好と北部旅行だ。

・・・と、寝ようと思ったら、たまたま選んだ部屋が、エチオピアに来た当初に一ヶ月暮らしていた部屋で、しかも、当時も正好と同じ部屋だったので、 思い出話に花が咲いた。
一年が経ったんだなぁ、と思った。
一年の間に、色々変わったんだなぁ、と思った。
僕はそれほどは変わってませんが。


5/21
補講最終日。

生徒たちに最後の一時間試験を行って、解説して、国家試験へのアドバイスをして、終了。
今学期は、かなり生徒も荒れていたが、最後まで残った彼らは相当しっかりしているし、何より志がある。
「カラユ」と呼ばれる少数民族の生徒なのだが、初めから感じていたように、彼らには「教育を受けさせてもらっている俺たちが一族の命運を握っている」 とでも言わんばかりの勢いだ。

彼らはとても僕を慕ってくれているので(そりゃそうだ、知識も熱意もエチオピア人教師の比じゃない)、僕もここまで頑張れた。
一緒に写真を撮って、「キャンプファイヤーするから来てね、ヨシには絶対に来て欲しいから」と言ってくれて、今日はおしまい。
いや、今年度はおしまい。

やりきった感はあるし、彼らなら国家試験でやってくれるのでは?という期待もある。
結果は、九月。

ところで、最近は二日に一日は、終日断水&停電。
この暑いエリアで停電は厳しいし、断水はもっとイヤだ。

さて、明後日から旅行三昧。


5/20
今日も補講、毎日補講、毎日減っていく生徒の数(笑)

夜、家の前のホテルで飯を食べていたら、丁度今日、「ハキム・スタウト」という黒ビールのドラフトマシンを入れたらしく、「新装無料キャンペーン」を やっていた。
ので、四杯くらい飲んだが、今日は四杯でお腹が一杯になってしまった。
もったいない。


5/19
東大からの訪問者。
なんでも、協力隊OB会からの以来で、JICA改善を目的とした評価活動を行っているらしい。
ということで、色々と質問されたが、「協力隊員から上がってくるJICAの問題点の多くは、時間的、空間的に一致している」とのこと。
まあ、簡単に言えば「JICA組織には根本的な問題がある!」とのことですな。


5/18
今日はカンニングした生徒の再テストの日。
当然の如く、誰も来ませんでした。

仕方ないので、補講を二時間ほど。
今日は少し難しい目の問題を用意したので、解説のし甲斐がある。
一般的に言えることだと思うが、エチオピアの人は即物的である。

「こういう問題は一般的にこう解く」という解説をしていると全く興味を示さない。
ところが、実際に僕が例題を解くと、途端に食いつきがよくなる。
具体例にしか興味を示さない(というか、おそらく、一般論を理解できない)この性格は、科学には向いていない。
「一般化」の手法は、いったいどうやれば教えられるのだろう?

補講を終えて職員室に戻ると、職員室の前が紙ふぶき状態。
生徒が返却されたテスト用紙をびりびりに破って捨てるからだ。
「見たくないものは破って捨てる」という生徒は、この一年、何も変わらなかったな。
来年はそういうところを変えることを目標にしたい。

ところで、最低だなぁ、と思ったのは、僕が紙を拾っていても「ヨシ、生徒はよくないよね」と言いながら素通りしていく教師が九割なこと。
こういう教師があって、ひどい生徒が完成していくのである。
全く。


5/17
朝から、鳥をしめちゃいました。

焼き鳥パーティをしよう、と言われて、で、僕も手伝ってしめてみました。
生きた鶏の首をちょんぎんのって、案外、普通に出来るもので驚いた。
友達は「気持ちのいいものではない」と言っていたが、僕は特に感想なし。

その後、毛をむしって、鶏肉をさばく。
うまくさばくためには、骨の形などを考えて包丁をいれていかないといけないので、これは楽しかった。
魚は何度かさばいたことがあるが、魚と違って、綺麗に包丁をいれれば肉がさらっと切り取れるので、やりがいがある。

肝心の焼き鳥は、というと、エチオピアの鶏だから痩せていたけど、それでも焼き鳥を食べるのは一年ぶりで、ピーマンを食べるのも一年ぶり くらいで、なすを食べるのも一年ぶりくらいで、さつまいもを食べるのも一年ぶり以上だったので、感動した。
たまにはこういうことをしないと。
ここしばらくのストレスが解消された気がする。

ところで、日本人祭りをしようかどうか迷っているのだが、その話が早くも一人歩きを始めてしまって、やることがほぼ決定しつつある。
これから概略を立てて、課題を洗い出さないと。

そんなことを考えながら、メタハラの我が家に帰宅。


5/16
タンザニアの飛行機チケットを購入。
いやぁ、高い高い。
往復で1000ドルってのは、まあアフリカのインフラ(飛行機はインフラというのか?)の悪さを示しているともいえる。
需要もあまりないだろうしね。

午後はのんびりと。
夕方、やってきた体育隊員たちと飯を食ってお開き。


5/15
午前中は諸々の雑用。
午後は旅行の申し込み。

その後に、GルゴさんとG大さんと少しくっちゃべって、夜は長谷さんの家にお呼ばれ。
バーベキューがうまくて感動した。

長谷さんの家から帰ってきて、ジェンガやったら二回目に負けて四十度の酒をロックグラス一杯、一気させられてしまった。


5/14
朝は補講。
昨日の反省を活かしてちょっとだけましになったかな?

ところで、今日、「試験委員会」なるものと話し合って、カンニングの問題はおよそ解決した。
来週の月曜日に再テストして、来なければ減点。
きっと誰も来ないんだろうな。

午後からアジスに上がった。
旅行の段取りとかをG大さんと煮詰めて、早めに就寝。


5/13
朝から補講してみるが、テンポがよくない。
久しぶりに教えるし、というか、今日は30分テスト、30分解説だったので仕方がないか。
一年前に比べて、何人かの生徒の成長っぷりが目に見えるので嬉しい。

くそ暑い一日。
37度前後の日々が続いているが、今日は40度あった気がするなぁ。
さすがにこれだけ暑い日々が続くと、夏ばてになる。

カラユの生徒から「national examのあとにキャンプファイヤーをするから、きてくれ」と言われた。
カラユはエチオピアの少数民族で、社会から取り残された人たちでもあるが、それせいもあり、多くの人がプライドと節度を持って生活している。
カンニングもあんまりしない。

この町では「伝統」を破壊して堕落させる「文明化」が直に見て取れるから、興味深い。

他にも、何人かの生徒から「写真を一緒に撮ろう」と言われた。
先日までの騒動のように、何割かの生徒は悪意と軽蔑をもって接してくるが、何割かの生徒は興味を持って友好的に接してくる。
問題は、どちらも学業に関するとずるいかしない、ということだ。
切り分けて考えるしかない。
だから、ここでは絶対的に信頼できる生徒なんて数人しかいない。


5/12
よく分からないが、午前中に町の教育局がやってきて生徒とミーティングをしたらしい。
で、僕がカンニングした生徒の点数を(生徒に確認の上で)減点しているのを教育局の人が知って、「減点をやめなさい」と上からの圧力がかかった。

そして、昨日の生徒に関しては、他の教師から「カンニングを現行犯で捕まえた時のルールはあるが、カンニングを後から見つけたときのルールはない」 とのことで、減点するのはどうだろう?と言われた。
そもそも、「カンニングをしてはならない、ということが最も根本的なルールだろ?」と言ってみるものの、「それはそうなんだが、後から見つけたときのルールはない」と 言われる始末。
つまり、先日の退学生徒の件もあって、多くの教師は教育局を恐れているのである。

てか、カンニングした生徒を罰する問題にまで口を出してくるな、教育局。
本当に気が滅入る。

自分がここに来た意義を完全に見失う日々が続いていたが、それでも教育局とのミーティングで、多くの生徒から「ヨシは本当に生徒のために自分の身を費やしてくれている」 という声が上がった、ということを耳にして、少しは持ち直した夕刻。
でも、そんな生徒でも、数学の力は?だったりするし、カンニングもしてたりするから、やっぱりもっと根本的に何かを変えていかないといけない。
生徒に喜ばれる、というだけでも意義はあるが、その意義を成果に繋げるためにはまだまだこれから。


5/11
午前中、テスト返却のために学校に行ったら校長から
「今はGrade9が授業中で、今返却すると返却された生徒が騒いでGrade9の邪魔をするから返却しないように」
「あと、先学期、返却された答案をびりびりに破いて学校や前の道がゴミだらけになったから、返却後、再回収するように」
と言われた。

その言いつけを守っていたら、他の教師が堂々と返却し、しかも答案も再回収していなかった。

可能性1.校長のお達しがその教師に行き届いていなかった。
可能性2.その教師がお達しを破った。

どちらにせよ、校長も「問題ないよ」の一言で済ませてしまうのが、生徒を悪くする原因でもある。
全て思いつきで物を言い、思いつきだから破られても「問題ない」の一言で片付ける。
つまり、この国にはルールというものは存在しない。

60問のテストで30問正解した生徒(英語が全く理解できない上に、掛け算も危うい)に、「この問題、解いてみ」というと案の定、解けない。
カンニングは他の生徒もしているが、この生徒の点数は高すぎるので、減点。
そしたら、生徒が「俺には家族がいて」とか「仕事があるから学校にこられない」とか言い訳をぐだぐだ並べてくる。
僕は完全に無視していたが、これが次の地獄の始まりだった。


5/10
生徒の今学期のスコアを集計していた思ったのだが、出席率が異様に低い。
とりあえず単純に平均を取ってみると、先学期は90%程だった出席率が、60%、酷いクラスは50%前半にまで下がっていた。
もちろん、今学期、一度も学校に来ずにテストだけ受けた生徒もかなりいるので、更なる解析は必要だが、単純に言って、生徒は一週間に一回は 学校を休んでいることになる。

もちろん、ここでは家で復習する、という習慣もないので、それでは勉強についていける訳がない。

今日はっきり思ったが、僕がこの一年、やってきたことは完全に間違いであった。
数学を教えるのではなく、生活指導をしないといけなかった。

教師志望では全くない僕にとって、それは辛い。
しかも、ほとんど英語喋れないような生徒に対して生徒指導なんて、出来るのだろうか。
もうヤダ。

帰りたい、とは思わないが、メタハラを離れたいし、理数科教師を辞めたい。


5/9
数学の再テスト。
1/3くらいの生徒がきたので、予想よりかはまし。

採点をほぼ終えたら、驚愕の真実が判明した。
少なく見積もっても生徒の八割はカンニングしている。
これでは既にテストとは呼べない。

確かに、生徒たちのレベルと試験のレベルを考えると、生徒たちには絶対に解けないような問題ばかりなので仕方がないことは仕方がない。
しかし、今期の期末試験は二週間後に控えているnational examを模して作る必要があるため、そんな問題になるのも仕方がないのである。

結局、何が悪いのか、というと、掛け算すら危うい生徒を卒業させる小学校であり、分数の計算が出来ない生徒が半分以上である現状を生み出している この教育制度である。
ついでに言うと、道徳教育を全く行わないのもまずい。
まずはルールを守る事から教育が始まるはずなのに。

そんな憂鬱な一日を過ごし、夜は大家に招待された。
聖マリアムの誕生日らしい。
「学校がこんな感じで酷いんだ」というと、"Yous can buy suger, you can buy salt but you cannot buy mind. Students should learn it."という 大家は、喋っていてホッとするエチオピア人の一人だ。
「お金を持っていること」と「尊敬されること」が同義であるエチオピアにいると、たまにまともな人と話さないと頭がおかしくなる。


5/8
人生最悪レベルの日。

試験監督をしていると、そこかしこで始まるカンニング。
とりあえず注意した上で、言う事をきかない生徒には減点の処罰を下すために、テストにサインする(すると、担当科目の先生が減点する)

一限目はまだよかったが、二限目は、誰も言う事をきかなくなった。

サインしようとすると、テスト用紙を背中に回して拒否し、僕を笑って馬鹿にしてくる。
そのテスト用紙をとりあげようと試みる間に、教室の他の場所で「何番の答えって何?」という会話が勃発。
更に他の場所では、答案の見せ合いも始まる。

大声を出し、机を叩き、挙句の果ては生徒も殴ったが、それでも一向に止まらない。
サインしたらクラス中で「サ〜イ〜ン」の大合唱。

完全に僕の手を離れてしまったので、サインする事は諦めてカンニングしている生徒を記憶し、用紙を回収した後でサインしておいた。

別に僕だから、という訳ではなく、他の教師でも似たようなことが起こる。
ただ、他の教師の場合は生徒がカンニングしても何も言わない事が多い。

こういう態度の教師たちに十年間、教わってきているから、「テストとはカンニングするものであり、宿題は人のものを写すものである」という考え方が エチオピアでは定着している。
一回、生徒に面と向かって「先生は宿題の意味が分かっていない。宿題っていうのは人のを写してもいいということでしょう」と言われたと時には唖然とした。

更にこの問題を突き詰めていくと、やはり、町役場 or PTAの存在は大きい。
カンニングした生徒に厳罰を与えようとすると、PTAがしゃしゃり出てきて「罰するな」と言い、それでも罰しようとすると町役場が出てきて教師がクビになる。
ここにきて一年近くが立ち、ようやく、僕の学校を取り巻くマクロな状況が如何に酷いかが分かってきた。

午後、数学のテストでほぼ全員がカンニングして高得点を叩き出したあるクラス四十人に対して、再テストをしたい、と教師で構成される「試験委員会」に言うと、 渋い顔をされた。
以前、カンニングを罰しようとしてPTAがしゃしゃり出てきた事もあり、そして、先日、退学者を巡って校長がクビになったばかりなので、全ての教師が消極的に なっている。
いやいやいや、ホントにこの国、正義ねーな。

そんなことで引き下がる僕ではないので、強引に「やります。責任は僕が持ちます」と言って実行する事を決め、該当する生徒に言いにいった。
もうね、最悪。
「ここのクラスの生徒がカンニングをした疑いがあるので(ここまでは生徒はまだ聞いている)、明日、小テストをします」
ここまで言った瞬間に、クラスの半数以上が立ち上がり、猿のように吠え(これは獣の咆哮と呼ぶにふさわしい)クラスから出て行った。

大半の生徒は単なる獣でしかない、と本気で思った。


エチオピアの数箇所の学校を転々としてきた他の先生に言わせると、この学校は最悪らしい。
まぁ、それが場所柄によるものなのか、時間経過によるものなのか、それは分からないが、確かに授業中も教室に入らず外で歌を歌う生徒がいたり、そもそも学校に来ない生徒も 多かったり、てか、外部の人がきたら「なんでここ来てんねん」といちゃもんをつけたり、という生徒が、少なからずいる。
かなり酷い状況であることには間違いないだろう。

こんな学校に必要なのは、「理数科教師」ではなく、「青少年教育」であろう、と思った。
しかし、そんなことをするためには、「ルールを守らないと罰せられる」ということを徹底するために町役場から変えなければならない。

「ルールを守ろうとすれば罰せられる」のがここ。


5/7
今日のテストもなんだか生徒、ひどかったなぁ。
本当に、生徒が嫌いになってきた。

数学の採点をしていたら、あるクラス全員の点数が異様に高い。
他のクラスの平均点の二倍くらいの点数を全員がとっている。
不振に思っていたら、そのクラスには学年トップの二人がいた。

あぁ、なるほど、カンニングしてんのね・・・・・って全員カンニングしてんのかよ!!

さすがに試験監督の先生を怒鳴りたくなった。
ということで、そのクラスだけ再テストします。

To do list
・成績付け
・メタハラ紹介を書く
・Grade10の各チャプターをどうやって教えたか、という記録
・エチオピアの生徒たちのgeneral information

結構やることあるな・・・。
でも、やる気がでない・・・。


5/6
学校に行くと、何人かの生徒が"Welcome back!!"と言ってくれた。
そんな朝の気分のよさとは裏腹に、どす黒い一日。

1.校長がクビになった。
以前、いつかの日記で「退学にした生徒を復学させろと町役場が言ってきてて、そのことで校長が頭を悩ませている」と書いた。
経緯を振り返っておくと、
・学校からの再三の忠告にも関わらず、学校のルールを破り続ける生徒がいた。
・何度も文書で忠告し、その生徒がやったことの確認書類に生徒のサインが入っている(無理やりじゃないよ)
・仕方ないので退学処分
・退学後、PTAが復学させなさい、と言ってきた(ちなみにPTAは全く学校のルールを知らないし、学校に来た事もない)
・校長を始めとした学校の全職員は「何度も文書で警告したし、復学させてしまうと今後の生徒もなぁなぁになってしまう」と拒否
・PTA側は、「(たとえサイン入りだとしても)文書に書かれていることが正しいという証拠がない」と反発
・町の役所が出てきて、「復学させないさい」と強い命令
・ある日、突然、校長が教育局に呼び出され「あなたの学校の管理能力が弱く、先生たちをうまくまとめきれていないので、あなたをクビにします」と宣告された。
ということである。
そして、退学処分になった生徒のとりあえずの処分として、「暫定復学」みたいな感じで、とりあえず期末試験を受けられる事になった。
ただし、「暫定」なので、先生はその試験の答えはチェックしない。

はっきり言って、誰がどう見ても「校長がPTAや町役場の言う事を聞かなかったからクビ」って感じだ。
さらに話を突き詰めていくと、役場の人は来年の首相選挙に合わせて昇進したいと願っており、そこで学校の退学者率が上がるのは傷がつくからまずい。
だから、とりあえず退学させちゃだめだ、という流れだと推測される。

そんな小説レベルの話が、エチオピアでは日常茶飯事(とは言わないけれど)割とあります。
教師経験五年くらいの友人は「以前も一度、同じ事があった」って言ってた。
そして、他の教師の体験談では、「教室で用を足し、黒板を破壊した生徒を退学にした校長が同じ憂き目にあった」らしい。

噂には聞いていたが、実際に当事者になってみると、この国がいかに腐っているかがわかる。
そう、腐っているつながりで言えば、数年前の選挙では、開票すらせずに「与党の勝ち」を発表した地域があったらしい、というか、僕の友達の友達がその発表をしたらしい。

残念ながら、エチオピアは救う見込みが全くないかもしれない。
友達は「まだソマリアの方がマシだ。戦えば、とりあえずクリアに物事は動く。ここは全てアンダーグラウンドでモノが動き、何も変わらない」と言っていた。
それは極論だが、エチオピアが変わるためには、とりあえず一度滅びてもらわないと。

2.生徒がひどい。
ゴミがまた散乱している。
僕が数日いなかっただけで、ゴミ溜め状態。
結局、ゴミを捨てないのは僕がいるからっていう理由だけなのか。

更に、ゴミ拾いをする僕を馬鹿にする声を掛けてくる生徒(女が多いんだなぁ。エチオピアの女は根暗でもある。)や、まだテストを受けている生徒が教室の中にいるのに、 その教室の外で馬鹿騒ぎをし、注意した僕を馬鹿にして「外人め」と笑ってくる生徒(大体、ゴミ拾いを馬鹿にする生徒と被っている)がいた。
今日はさすがにカチンときたな。

今学期、生徒たちの一部は完全に性悪な性格を表に出してきた。
授業は聞かない、授業に出ずに教室の外で音楽を聴く、ゴミは投げ捨てる、先生の言う事は必ず反対の事をやるetc
既に学校崩壊の域である。

卒業に合わせて色々と企画を考えていたが、生徒がこんなだから、もう何もする気がなくなった。
いい生徒もいるが、二十人くらいの生徒が陰湿で極悪すぎて、平均として、集団として、今、残念ながら僕はこの学校の生徒が嫌いです。
出来る事なら学校ごと消し去ってしまいたい。


エチオピアの悪い点を目の当たりにし、エチオピアの悪い点が育っていく現場も目の当たりにし、なかなかな一日。
僕はこの学校の何かを変えることを期待されてここに来たわけだけど、絶対に無理です。


5/5
メタハラに帰る。

途中でナザレットという都市にいる専門家(そしてその奥さんが数日前の日記の「アフリカ理解プロジェクト」というNGOのトップ)の家におよばれ。
日本の米と日本の鮭と日本の納豆を食べて、泣きそうになった。

色々と話をしたが、具体的に、簡単な写真集を作ろうと思った。
カラユ族を対象として。
いや、別に大した意味合いはなくて、単に日本に帰った後にそれをみんなにばら撒けば、わざわざ何度も同じ話をしなくてもすむなぁって発想です。

人を成長させるためには「機会と場を提供してほったらかす」のが一番、という話もした。
親が子供を手伝いすぎるとだめなように。

帰りのバスがパンクした。
大事に至らず何より。
まぁ、たかがパンクだしね。

メタハラの自分の家は落ち着く。


5/4
朝から事務所へ行って仕事。
今後の理数科隊員をどう方向付けていくか、というお話。

以前も書いたかもしれないが、他国に比べてエチオピアの協力隊は活動達成度が低いと僕は思う。(活動達成度ってなんですかー?)
エチオピアのJICA事務所が、隊員が組織だって何かをするのを推奨しないのが一因だと思うが、先輩からうまく後輩に伝えていくシステムすらなく、個人の裁量に 任されているのが現状。
もちろん、組織に縛られずに活動できるのが協力隊のいい点でもあるのだが、最低限の組織整備はすべきだと思う。
ので、エチオピアに来た次の日から「一番古い理数科隊員」になった僕は(つまり、理数科隊員が一人だった、ということ)、組織整備を頑張ろう。

具体的には、
・理数科隊員同士の授業研究会
・理数科に特化した活動報告の義務化
などを考えている。
そこに対外活動として
・理数科セミナー
を絡め、知名度を高めていく事で、最終的には
1.学習指導要領を作成し、エチオピア政府に公認してもらう。
2.学力模試を開き、自分たちの学校のレベルを知ってもらう
3.実験コンペティションの開催
などができればいいと思う。

ちなみに数字付きは、僕がいる間には実現不可能でしょう。

その後、調整員に誘われて、新隊員の学校に挨拶に行った。
ほとんどの教師が英語を全く喋れなくて、うわー、新隊員大変だなーと思った。
が、裏を返せばそれだけ外人慣れしてないということでもあるので、活動のし甲斐はある。言葉の壁を突破できれば。
この学校に来る人はエネルギッシュな感じなので、大丈夫だろう。

昼からは延々とパソコン関連の仕事。
ネットが快適に使える時にやらないといけない仕事がいっぱい。

夜は久しぶりに調整員と飲んだ。
好きな調整員なので、二人ともグデグデになるまで飲んだ。

夜中に友人から電話が掛かってきて、祖母が亡くなった、とのこと。
人はいつ死ぬか、誰にも予想がつかないのである。
そして残された人にできることは、たまに故人を偲んであげること、そして、故人から受け継いだことを発揮し続けること。


5/3
仕事をしたり、新隊員とまったりと喋ったり。
関西圏の人が来たので話がはずむ。

なんだか疲れてた。


5/2
朝から銀行回って飛行機の予約して。
タンザニアまでの飛行機代が12万円もしてびびる。
しかしここはグッと我慢すべきところ、行かなきゃならんもんね。

六月末から九日間、タンザニアを旅行してきます。
キリマンへは登りません。

ショラ、という市場に遊びに行った。
あんまり活気がなかった。


5/1
僕はGTFと呼ばれるエチオピア人によるローカルNGOと共に働いており、そのGTFを日本の「アフリカ理解プロジェクト」というNGOが支援している。
アフリカ理解プロジェクトのトップの人とは割と会う機会があるのだが、今日は、そのスタッフの人と一緒に飯を食べた。
もうね、昨日から食べすぎ。

そのスタッフの方は、二年前に二年間、大使館草の根資金協力のスタッフとしてエチオピアで働いていたのだが、 僕が「エチオピアは全てが金で回っている」「エチオピア人は約束を守らない」と発言したら、「そんなことないですよね」って言われた。
どうやらその方はそういうエチオピア人に出会う機会がなかったようだ。
エチオピアで暮らしていても、色んな暮らし方があるんだなぁ、と思った。
僕を含めた隊員が触れ合うエチオピア人は、やっぱり八割くらいは約束を守らず金に価値基準をおいている人なのだが。
まぁ、大使館に来るような人はまともな人なのだろうか。

夜は新隊員と共に、1990年くらいからのオリコントップ10の早押しクイズで遊んだ。
僕は音楽には疎い方だが、1990年代中盤つまり僕が小学校から中学校くらいの音楽は割と耳に張り付いているものだ。
逆に大学以降はベスト3を知らなかったりして酷いもの。


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