E veryday- D iary

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9/30
朝、中学に行ったら「今日は休みだよ」だって。
ムスリムの断食明けの休日だそうだ。
あれ?明日じゃないの???

ま、断食明けの日って月の動きで決まるらしいから、それで変わったのかな?

仕方ないので、朝から報告書と補講の準備、パソコン関連の雑用。
いやぁ、疲れた割に達成感はゼロ。

理解して納得して来てるわけだけど、この「どうでいいさ」感はなかなか、ねぇ。
やっぱり僕には研究とか、自分の何かを突き詰める作業が性にあっている。


9/29
先週の金曜に行ったテストを返却する。
昨日はAというクラスルームにいた生徒が、今日はBというクラスルームで授業を受けていたりするから大変。
生徒の名簿も手作りしないといけないし、ここでは「学校運営」という概念がないのだろうか?

おかげで授業時間が押されてしまい、予定の半分程度しか出来ず。
やばいぞ、このペースで進めばかなり危険だ。

午後からは日本紹介を行った。
最終目的は、日本の生徒と文通を行わせること。
ちょうどいい人数が集まったのでよかった。
ちなみに、目下、最大の問題は「彼らは私書箱を持っていない」ということ。
私書箱がなければエチオピアは手紙を受け取れません。
それで文通を行うなんて、ちゃんちゃら可笑しい。
あ、ちなみに僕も個人の私書箱は持っていません。僕に物を送るときはJICAに送ることになり、従ってアジスアベバまで 僕が取りにいかないといけないことになり、つまりは数ヶ月に一回くらいしか郵便物をチェック出来ないのが現状です。

今日の日本紹介は、自分的にはうまくいかなかったな。
第一、日本を紹介する、と言ってもなかなか喋ることはない。
テーマを「地理」と「気候」に絞ってみたものの、どうしても授業っぽくなってしまった。
反省。

夜は報告書作りと予習。
物理やりたい・・・・この時間のなさにかなり焦ってきた。


9/28
昼まで授業準備して、昼からエチオピア人の結婚式(婚姻式?)に招待された。
よく分からないが、「ムゼ」という仲介人みたいなのが新郎新婦それぞれに数人いて、何故か僕がムゼをやることに。
いやいや、新郎に会うのも初めてだし、もちろん、新婦なんて見たことも聞いたこともないんだけど。
その辺りの「誰でも参加、特別な人(例えば僕みたいな外人)がいたら特別なことをしてもらえ」的なところは如何にもアフリカだと感じた。
いや、僕が勝手にそう思っただけで、真相は知らない。
ただし、僕の結婚式で見ず知らずの外人に仲介人をやってもらうのは嫌だ。

まず、新郎がホテルで服を着替えて、ムゼがそれを手伝う。
プロカメラマン(と言ってもしょぼい)を雇って、全てはばっちりビデオに撮られるので、もちろん僕も写っている。
その後、車に乗って新婦の家へ行く。
で、お祭り風に飾られた家の中で待つ新婦のところへ行き、新婦を外に連れ出してその足で役所へ婚姻届を出しに行く。
新郎の周りには僕を含めたムゼがいて、新婦の周りにもムゼがいる。
そんな感じで役所で婚姻届に両者サインをし、立会人もサインをし、指輪を交換し、結婚完了。

新婦の家に戻ると他の人たちもやってきていて、あとはお祭り。
思ったより、というか、かなり静かだった。音楽はあるものの、踊りはなし。
他の結婚式ではどうなんだろう???
ちなみに、遂に僕もエチオピア名物「生肉」を食べました。
サナダムシがいるかどうかは確率の問題なので、おとなしくいないことを願います。

ま、大体がこんな流れなんだけど、今日の結婚式は段取りがめちゃくちゃ悪かった。
初めから遅れまくって、役所についたら「係りの人がいない」(係りの人の家まで迎えに行った)
パーティーは本当は新婦の家ではなくて、レストランでする予定だったのだが、どこも予約していなかったので二軒回ってどちらも断られる。
エチオピアの結婚式っていつでもこんなのかな?って思っていたら、今日の結婚式は友達いわく「退屈だった」そうだ。
何でも、コーディネーターがいなかったらしい。なので、全てが行き当たりばったり。
何ていうのかな、結婚式に感動した、というよりかは、そのことに感動した。

あともう一つ、カメラマンがすこぶる鬱陶しかった。
誰かが挨拶してたら、その人の前に陣取ってカメラを回すから、観客は挨拶が聞こえないし見えないし。
あんた、カメラマンの本分を忘れちゃいかんよ。
しかも、ファインダーをのぞかずに撮っているから、映像はあらぬ方向を向いているような・・・・。

とにかく、結婚式なんて一生に一回(多分)なものなんだから、もう少し「きっちり」とやりたいと思うのは、僕が非エチオピア人だからだろうか。

ところで、帰りはバスが見つからなくて大変。
三時間くらい待って、ようやく帰途につけた。
「中国の経済成長率を考えると日本は将来、抜かれる」と熱弁する二人のエチオピア人をなだめすかしていた。
中国でまた(?)毒ミルク事件があったって本当ですか?


9/27
先輩隊員から貰った「プリズンブレイク」を見終わった。
前々から少しずつ見ていたんだけど、どうにも先が気になってしまうので、もう一気に見てしまった。
楽しいような、くだらないような、そんな内容。
当たり前だが、ドラマってのはそんなもんだ。

昨日、数学の簡単なテストをしたので、その丸付けと来週の準備に追われる。
結果は、ぴんからきりまで。
生徒のレベルは二極化、というか三極化が進んでいる。
全員を救うためには、三段階に分けて補講をしなければならないが、体がもたない。
う〜む、困った。
あ、一番レベルの高い生徒でも「言われたことを忠実に実行できる」レベル。
想像力とか考える力の欠片もない。


9/26
今日はエチオピアの祝日前日。
「チュボ」と呼ばれる巨大キャンプファイヤーが各都市、各町で行われる。
エチオピアは9月15日がお正月なので、そのキャンプファイヤーは「どんと焼き」みたいなものかな。
一応、名目は「真の十字架を見つけた日」だそうで、「チュボ」の火が真の十字架の在り処を指し示したんだそうだ。

学校の暫定校長のタラケンとその友達とチュボを見て、その後、軽く飲んで家に帰ったら、今度はGTFのロバから電話がかかってきて ロバとファンターレと看護師の人と飲んだ。
こいつら、下ネタ好きだなぁ。

帰ってから友達に電話しようと思ったら、うまく繋がらない。
こっちのインフラは全く酷いし、そもそも、意図的にシャットダウンしている可能性すらあるので、はっきり言って、エチオピア、国としては だめだめです。


9/25
朝から授業。
二時間こなした後に、生徒と一時間ほど雑談。
何人かの生徒は(エチオピア基準で)優秀だし、何より意欲があるので、そういう生徒には頑張ってもらいたい。
もちろん、先生の一番の使命は、そうじゃない生徒をどう掬い上げるかだけど。

その後、Grade9の教室を見学に行ったら、生徒が寄ってきて「授業やってよ」の嵐。
そう、学校は九月中旬から始まっているのに、先生はまだ四人しか来てないのです。
これがエチオピア、というか、アフリカ、というか発展途上国?
責任感、というか、プロフェッショナル意識が皆無な国。

思うのだが、この国で「生きる」と言ったとき、それは「食べることが出来る、寝ることが出来る」という原始的な意味に 近いのではないか、と思う。
日本で「生きる」と言ったときには、そこには例えばプライドであったり、何らかのやりがいを持ちながら暮らしていく、という 意味合いの言葉になると思うが、エチオピアではそうではない。
飯が食えればそれでいい、寝るところがあればそれでいい、それ以外に余計なことはしたくない。
それがエチオピアでの「生きる」だと思う。
そして、そうである以上、そこにはプライドも向上心も生まれない。

ということで、とりあえず、先生は来ない。
仕方ないので、即興で僕の自己紹介を三つのクラスで行った。
笑いを適度に取り入れながら、生徒にも発言させる感じで自己紹介。
最近、自己紹介が上手くなってきた気がするなぁ・・・・・
中には英語が(エチオピア基準で)うまい生徒もいて、びっくりした。
もちろん、自己紹介の最後には割れんばかりの拍手喝采(これ、比喩じゃない)
みんな、外人好きなのね。

昼、ありえないくらいの豪雨。
メタハラは乾燥地帯なので、びっくりした。

午後、先生から「Yoshiの授業は生徒に凄い人気だけど、どうやってんの?方法論、教えてよ」って言われた。
こっちの人間は、単純だから、その言葉がどれくらい本気なのか分からないけど、「いいよ、じゃ、今度、授業見にきてよ。で、 アドバイスちょうだいね。あ、それと、今度俺も君の授業見に行っていい?教え方の勉強したいから」って言っておいた。
今はまだ、現状分析の時期だから、色々なものを見て、自分の中で価値基準を作らないと。
最終的に、僕の教え方のいいところが他の先生にも浸透すればいいな。


8月中旬〜9月24日までのまとめ
ある日、パソコンの電源が入ったまま、パソコンを動かしたら突然パソコンがあの世に旅立たれた。
そうして僕は、パソコンのない状況に陥った。
この一ヶ月、パソコンなしで暮らした。
その間、僕を取り巻く環境は少し変わった。

8月中旬にエチオピアの首都アジスアベバで暮らしていた僕は、8月26日に任地であるメタハラに赴任した。
高度は2500mから1000mに変わった。
昼間の気温は25度程度から36度に上がった。(そして、体温計で気温が測れるということを初めて知った。)

9月中旬に、学校の授業が始まった。
しかし、噂のとおり、生徒は来なかった。
そして、噂のとおり、僕と校長以外、先生も来なかった。
そりゃ生徒も来んわ。

最近、生徒が来始めた。
先生も三人追加された。
しかし、生徒も先生も、まだ半分にも達していない。

赴任時に比べて、メタハラでの僕の知名度も上がった。
端から端まで1.5km以内の小さな町だから(雰囲気は極小の都市、と言った方が正しい)、僕のことを「China!!」と呼ぶ人もいなくなった。
代わりに「Teacher!!!」と呼ばれることが増え、多少、困惑している。
そう呼ばれることに慣れることが、先生への第一歩ではないか、と今は思う。
まだ僕は「Yoshi!!!」と呼んでほしい。

一ヶ月。
その間、僕はほとんど変わっていない気がする。
しかし、間違いなく時間だけは蓄積していった。
そして、時間が蓄積する、ということは無数の小さな変化が蓄積する、ということでもある。
その無数の小さな変化はまだ僕の中で像を結んでいないけど、抜粋して幾つか、この一ヶ月、特にメタハラに来てからを書いてみようと思う。


・人情
メタハラに赴任して初めての週末、僕は色々な人から電話を貰った。
メタハラに住んでいる外人は僕一人だ。
だから、何があっても僕は自分で自分のための行動を行わなければならない。
マラリアに罹っても、自分で何とか対策しないといけない。
そんな環境を心配してくれて、みんなから電話を貰った。
まずは同期のみんな、ありがとう。
そして、ゴルゴさんと三ちゃん、ちょっと涙が出そうになりました。どうもありがとう。
結局、ほとんど交流のなかった陶芸家の川原畑さん、びっくりしました、そして、そのエネルギッシュな声が心に染みました。
更に、アジスで友達になったエチオピア人、ザレフン、予想していなかった分、本当に嬉しかった。アムセグナロ。
最後に、アジスで仲良かったタクシー運転手のゾディ、胸を打たれた。
確かに「電話するね」って言ってたけど、そういうのって普通は単なる挨拶じゃんね。
それをゾディは本当に電話をかけてきてくれた。拙い英語なのに「元気か?」だって。
これには思わず涙がぽろり。
たった二ヶ月しかいなかったのに、エチオピア人を含めた多くの人が僕のことを気にして電話を掛けてきてくれる。
「元気か?」そんな何気ない言葉も、嬉しく聞こえた。

そして、親に言いたくなった。「ありがとう」って。
そんなことは生まれて初めてのことだと思う。
あなた達の育て方は素晴らしかったって言いたい。こんな他人に無関心男の僕だけど、でも、エチオピアに来てもみんなに可愛がってもらってます。
それは、きっと親から授けられた一つの大きな宝物だと思う。
僕はこれからも僕が選んだ道で歩いていくけれど、親から貰った宝物はいつまでも大切に持ち続けて生きていきます。

三ちゃん「あんたやったら助けたるけん、あかんと思ったら連絡せえ」
川原畑さん「おお、相変わらず元気な声をしてるね」「また会おうぜ」
ゾディ「Joshi!!! How are you?? How is Metehara???」

みんな、格好良すぎるよ。
俺も、これから少しだけ、人情を大切にしてみようと思う。
離れていても連絡取らなくても友達は友達だけど、友達なら、たまには連絡した方が格好いいんだ。
そんなことを思い知った、みんなの電話。


・夢なんて糞食らえ
僕の学校はGTFというローカルNGOが建てた学校で、今は公立になったものの、まだGTFは大きな影響力を持っている。
GTFのスタッフは、みんな僕によく接してくれる。
その中でも印象に残ったのは、中学の頃にカナダ人女性から英語か何かを教わったロバ、という人の言葉。
そのカナダ人女性は半年のボランティアに来ており、帰ったら生物学(だったと思う)で大学院に入りたい人だったらしい。
だから、ボランティアでロバを含めた生徒に教える傍ら、院試の勉強も行っていたらしい。
そこで彼女が口癖のように言っていた言葉。
「私は生物学をやることが夢なの。夢を持つことはいいことだわ。夢を持ち続ければ、そして努力し続ければ、それは絶対に叶うから。
それが生きるってことだから、あなた達も夢を持たないとだめよ。」

ロバは吐き捨てた。
「そうさ、カナダみたいな裕福な国であれば、努力し続ければ夢は叶うかもしれない。でも、エチオピアでも努力し続ければ夢は叶うのか?
勉強したいと言って、でも、金がなければ学校にだって行けない。海外に留学したいって思っても、金がなくては留学も出来ない。
俺たちは貧乏だ。夢を持ったところで、貧乏人には出来ないことはある。」
彼はこの話をしている時、本当に憤っていた。

彼は今でも努力をしている。
海外に留学することがロバの一つの夢。
そして、海外に留学して得られる知識をエチオピアにフィードバックする、という夢が彼にはある。
彼は時間があるとインターネットショップに行って、ものすごく遅いネットで奨学金情報を探している。
彼は、今でも努力している。

ある意味、カナダ人女性の言っていることは正しい。
しかし、分をわきまえるべき瞬間というのは、必ずある。
「夢を持ちなさい」と言うのは簡単だ。
「頑張れ」と言うのも簡単だ。
しかし、夢を叶える事が非常に難しい状況にいる人々を前にしたとき、自分の手でその人たちの夢を実現に導いてあげる覚悟がないならば、 「夢を持ちなさい」なんて言葉は言うべきではない。
「頑張れ」なんて、弱い人を切り捨てる言葉でしかない。

大言壮語を吐くのは簡単だ。しかし、その言葉に責任を持つのは難しい。
自分自身で責任を持てないことを他人に言ったとき、その人は「強者の視点からしか物事を見ていない」と表現される。

この二年間、僕は「強者の視点から物事を見る」ことはすまい、と陽に心に誓った。
僕がここに来た一つの理由は、弱者の視点を手に入れるためなんだから。


・芝が結婚
おめでとう。
中島や鎌田、そして新婦の智子さんに手伝ってもらって、直接式場と電話で会話した。
みんなの声が懐かしかった。
帰ったら、また馬鹿やりましょう。そして物理もやりましょう。
そして、スキーに行きましょう。
俺はあんたらが好きです。
おめでとう。


・協力隊に応募した理由
少し形を変えてもう一度書いておこう。
僕は自分の人生に欠けたピースを作りたくなかった。それだけ。
「やるべきこと」を「やるべき時」にやることで、ピースが嵌っていくように自分の人生が完成していく。
世界を知りたいのだから、僕ももう少し、実際的な面で世界を知らないといけないといけないと思ったし、僕はまだ弱者の視点も身につけていない。
だから、このポイントで協力隊に応募することは「やるべきこと」を「やるべき時」にすることと同じ。
自分の人生のためのピースを得るために、僕はここに来た。

このピースを手に入れることで、物理という大きなピースを逃してしまうかもしれない。
でも、僕は完璧主義者なのである、僕の人生に関して、僕は完璧主義者なのである。
完璧を目指さないくらいなら、いっその事、ゼロでいい。
僕は、唯一「僕の人生に対して」だけ、完璧主義者。

それが、僕が協力隊に応募せざるを得なかった理由。


・「海辺のカフカ(村上春樹)」読了
実は四年前に一回読んでたりするのだが。

つまりこの小説は、誰もが経験する(かもしれない)青春時の「客観と主観の邂逅」を表現しているんだと思う。
人が多様な社会にリンクして生きる以上、客観という外的要因によって形成される主観が、全ての社会の客観とずれてしまうのは仕方ない。
その結果、「主観と客観が一致する場所=自分の居場所」を失い、自分と言う人間の存在意義、もしくは存在そのものが分からなくなることがある。
ある種の人間は(少なくとも僕は)、ある瞬間まではそういうことを感じながら生きていく。
しかし、ある瞬間、人は自分の「主観」を新たな「客観」として認めさせるべく、誰もいないポイントに根を下ろすことを始める。
それが、「自分」という存在が社会的に始まる瞬間であり、「主観」を「客観」として受け容れてもらおうと努力し始める瞬間でもある。
始めは自分しかいない「孤独な客観」かもしれないが、時と共に、その新たな「客観」は人に受け容れられる。
それが、「社会的生物として自分の居場所を確立する」ということである。

生まれつき、自分の居場所を持っている人なんていない。
人はまず自分自身の人生に対して覚悟を決めて、そうして初めて居場所を持つことを許される。

もちろん全員ではないけれど、中にはそういった面倒な生き方しか出来ない人間もいる。
多分、「海辺のカフカ」はそういった人を記述した小説だ。

僕はきっと、大学三年頃に自分の人生に対してある種の覚悟を決めて、「中田芳史」という居場所を手にいれた。随分と時間がかかってしまったけれど、手に入れた。
それ以降、ようやく自分の足で歩いている実感が湧いてきた。

そしてこの先、「中田芳史」という存在はどこへ歩みを進めていくのか。
それは未だに確認されていない問題。
きっと僕は分かってるんだろうけれど、僕はまだ、認識できていない。

木は根を下ろしたけれど、どこへどれだけ伸びていくかは、また別問題。


・お正月
エチオピアのお正月は9月11日。
大家の家に呼ばれて、数ヶ月ぶりにチキンを食べた。感動。
大家とは、早くもとてもいい関係になっています。
二年後、僕は泣くかもしれません。二年後、僕は大家に泣いてもらいたい。


・授業開始
生徒のレベルは素晴らしく低い。
感動的。
何よりも感動したのは、問題を解かせると、たまに「この問題は間違っている。ここはマイナスだ」と言って問題を変えてしまうことがある、ということ。
そのポジティブな考え方には脱帽。
少しは日本人も見習わないと駄目かな?と、感服してしまった。
でもね、あんた、やっぱり丸はあげられません。


そんなこんなで、元気にやっています。
これからまた、日記を始めます。
人生の日記帳。

そうそう、誰か、vistaにTeXをインストールする最短の方法を教えてください。
これ、本気ね、大学の仕事が溜まっています。


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